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NHK生活情報番組「あさイチ」騒動記 2015年10月

阿部隆(阿部耳鼻咽喉科医院、横手市)

 2015年4月2日の昼休み、東京のNHKから電話があった。
電話の主は、朝ドラの終わった8時15分から始まる生活情報番組「あさイチ」のディレクターだという。
用件は、「急性低音障害型感音難聴」(以下、ALHLと略)という病気を番組で取り上げることになったので、
この病気についていろいろ教えてもらいたいというのであった。

 どうして秋田の片田舎の一開業医である私にその様な依頼をするのかと尋ねたところ、
喜多村健先生(東京医歯大名誉教授で前日本耳科学会理事長・厚労省高度難聴研究班班長)や
小川郁先生(慶応大学教授で現日本耳科学会理事長)に打診したところ、二人ともこれは「秋田県の阿部先生に相談するのがベストだ」
と言われたということだった。
放送日は5週間後の5月11日に決まったと少しあわてている様子で、至急お会いしたいが横手市十文字町までどう行けば良いのか分からないという。
それならばと、分かりやすい秋田新幹線・大曲駅で直近の日曜日に会うことにした。

 視聴率の高い「あさイチ」に取り上げられることで、発症頻度が高いのにまだ一般には知られていないこの病気にやっと陽が当たることになる
という嬉しい気持ちと、まだ研究途上にあるALHLの病態について間違った報道をして欲しくないという心配な気持ちの二つが心の中を行き来した。

 眼光の鋭い身長180センチの大男が改札から出てきた。
丁寧だが押しの強そうな話し方をする。知人の事務所を借りて面談が始まった。

 一年位前の両側聾(詐聴)の作曲家・佐村河内守の事件以来、NHKは難聴問題を取り上げることに慎重になっていたが、
「あさイチ」視聴者からALHLという病気を取り上げてほしいという要望が多いためそれに応えることになったのだという。
ALHLがどんな病気なのかを知るために「(看護師の為の)耳鼻咽喉科学」(医学書院)を購入して
耳科学のページを読んだが病名の記載がなく、インターネットでも調べたがそれでも分からなくて困っているという。
一番知りたいこと・一番疑問に思っていることは何かと聞くと、
「ALHLがどうして起こるのか、何が原因でどんなメカニズムで”内リンパ水腫“が生じ、そうなればなぜ低音域の難聴が起こるのか」だという。
この疑問点を聞いて驚いた。
”内リンパ水腫“という専門用語を知っていて、専門医でも明解に答えることの難しいこのような疑問を抱くには相当勉強しなければならないが
どのようにしてこの知識を得たのだろうと。
更に聞いた。このALHLを番組で取り上げるのにどうしてこんな専門的な知識が必要なのかと。
それには、この発症メカニズムを分かりやすいCG映像にして視聴者に見せたいのだと答えた。
得心はしたが、ALHLの病態が“内リンパ水腫”であると断定的に放送される危惧を感じた。

 そこでまず、彼が持参した看護師向けの教科書を使って耳の解剖・生理・聞こえのしくみ・難聴の種類や原因などを一通りおさらいしたのち、
ALHLが一つの臨床疾患と認められるようになった経緯や現在の臨床的位置づけなどを、私が講演したビデオ(エーザイ医療関係者向けサイトのめまい・
耳鳴・難聴に関するインターネットセミナー動画)を見せながら説明した。
更に、ALHLの原因は不明だが誘因として家庭や職場でのストレスや個人的な心配事・過労・体調不良などがあり、
抑うつ状態が背景にある場合も多いこと、一般に予後は良好だが難治例もあること、病態も“内リンパ水腫”が有力視されてはいるが、
ALHLの2型・単発例と反復例の違いをこれだけで説明することは現時点では困難なのだと話した。

 ディレクター氏はこの番組「あさイチ」の制作で心掛けていることが2つあると言った。
その一つは、朝ドラのあと一日の始まりの時間なので暗い番組にならないようにすること。
そのために抑うつ状態やうつ病という言葉をなるべく使わないように、良くない経過をとる例がある場合にはそれをなるべく強調しないようにしているという。
二つ目は、視聴者が理解しやすいようにかつ不安な気持ちにならないように創ること。
不明なところがもし5%ならばその5%を強調しない、その5%には触れないように創ることもあるという。
この言葉を聞いてまたいやな予感が頭をよぎった。
ALHLは、一時的なストレス状態下で起こる治りやすい病気で、その病態は“内リンパ水腫”だと創られてしまうのではないかと。

 そこで私は、この番組作りで特に注意してもらいたいこととして次の2点を挙げた。

 一つは、ALHLが一つの病気として認められるようになるまでの経緯である。
それまで(欧米では今も)突発性難聴の低音障害型とされていた一群が、突発性難聴とは異なる一つの臨床疾患であろうと考えられた立木孝先生(私の恩師で
突発性難聴という疾患を日本で最初に報告された元日本聴覚医学会理事長)が、私にその研究を指示されたことが日本におけるALHLという疾患認知の始まりである。
番組を制作する際にはこの経緯を立木先生の功績とともに紹介することが大切で、そのほうが視聴者も判りやすいと思う。
ある日突然に日本で発見された新しい病気ではないのだと。
今一つは、この病気が原因も病態も解明され治療法も確立された予後良好な疾患などではなく、
まだ不明な点が少なくない研究途上の疾患なので、このあたりの事情に精通している耳鼻科医にコメンテーターを依頼してほしい(本番前に2回のリハーサルを要する
というので私の番組出演はお断りした)ということであった。
 以上の2点を確認して6時間に及ぶ初面談を終えた。

 その後、番組の構成・進行の仕方やディレクターのこだわる“内リンパ水腫”の発症メカニズムや低音難聴発症の仕組みなどについて、メールのやり取りがほぼ隔日に深夜まで続いた。

 まるで、自分が「あさイチ」のディレクターになったような気分だった。

 大曲での初面談から1週間後の4月12日当院での取材申し込みのメールが来た。
その際ALHLの患者さんで取材に協力してくださる方を1名お願いしたいという。来院まで3日しかない。
この患者さん選びも容易ではなかった。誰なのかは絶対にわからないように放映されるといくら説得しても、TV画面に顔が出るのは嫌だとか
プライバシーにかかわることを聞かれるのは嫌だとか言って協力してくれる人はいなかった。
来院取材2日前の夜に、にかほ市から来られた40代女性の患者さんが思い浮かんだ。
子供2人の受験ストレスが誘因で3か月前にALHLを発症し治癒したのち、
2週間前に大学に合格した息子の転居ストレスで初めての回転性めまいを起こし経過観察中であった。
診察時の態度や表情や話し方がとても素敵な秋田美人で、しかもALHLからメニエール病への移行が疑われる典型的な症例であった。
是非にとお願いしたところ取材を引き受けてくれた。

 4月15日の10時頃、ディレクターと取材カメラマン2人が医院にやってきた。
医院の内と外、私の一般診察風景のあと取材協力患者さんへの診察場面が撮られた。
3か月前のALHL発症からそれまでの経過を振り返り、その日の検査結果や今後の予測・注意すべき点などを話した。
現在、鑑別が問題となっているメニエール病とALHLの関連を、実際の症例を提示して説明できたことでこの上ない収録内容だと大変満足した。

 午後3時頃からは、ディレクターの質問に答えるという形の取材が始まった。
来院取材の前夜にメールで示されたインタビュー項目は、どんな人がどんな時に罹り易いのか、自覚症状は何か、
この病気の原因と病態は、内リンパ水腫の発症メカニズムは、なぜ再発しやすいのかであった。
ほぼ隔日にやり取りした私のメールを読んでいない・理解していないのではないかと疑わざるを得ないような質問内容で少し落胆した。
そこで私は、取材当日のインタビューでは、視聴者が理解できるように話すことが難しい項目については回答を拒否し、
私のほうから聞いてほしい項目を提案して話すしかないと思っていた。
ディレクターが番組作成上の観点から私に話して欲しいと思っていることと、私が臨床医の立場から視聴者に知ってもらいたい・
伝えたいと思うことの間に大きなギャップがあることを感じたからである。

 この取材中、私がディレクターに言われたことで気になったことが2つある。
一つは、“「~だと思う」「~が疑われる」「~の可能性がある」は、出来るだけ「~だ」と断定的な言い方にしてください、視聴者が不安な気持ちになりますので”。
断定的な物言いが視聴者に安心感を与えるとはどういうことなのか、そもそも視聴者がどんな気持ちを抱くかということにそれほど腐心する必要があるのだろうか、
と少しあまのじゃくの私には疑問に思えた。
今一つは、“~よりは~の方が視聴者が理解しやすいと思います”。
自分が一般市民・視聴者の代表・代弁者であるということをしばしば強調することであった。

 結局、私がこの病気について知ってもらいたいと思っていることを話す場面を収録できずに午後6時の時間切れを迎えた。

 全く不本意なインタビュー収録となってしまった。
今日の収録内容からどんな番組が作られるのだろうという大きな不安感と疲労感が残った。

 この取材後、メール依頼のあった立木孝先生の写真と、ALHLについて私が書いた最初の論文と、協力してくれた秋田美人の検査データを彼に送った。

 4月30日これから穴倉生活(番組制作)に入りますというメールを最後に音信不通となり、5月11日の本番を迎えた。

 朝ドラ「マッサン」が終わって有働有美子アナの「あさイチ」が始まった。
箱根山噴火のニュースの後に少し遅れて、本日の特集「急性低音障害型感音難聴という病気を知っていますか」が始まった。
ここでちょうど診察開始時間となり私は一階の診察室に降りた。

 そして昼休み時間に収録ビデオを観て愕然とした。
あれほど強調したのに、ALHLが一つの臨床疾患と認められるようになった経緯に全く触れていない、立木孝先生の名前も写真も突発性難聴という疾患名も出てこない。
「私はこの病気を耳の風邪と捕らえています」と話す場面で、この私がどこのどんな耳鼻科医なのかも全く説明がない。
ALHLの病態は内リンパ水腫であると“断定”し、そのように言ったのが私だと紹介している。
内リンパ水腫が病態として有力視されてはいるがその様に断定してはいけないというのが私の立ち位置で、そのことを何度も話したのにである。
同じく内リンパ水腫が病態だとされるメニエール病との違いにも殆んど触れず、両者の関連を説明する上で好都合な秋田美人の患者診察ビデオも無かった。
更に、予後良好とされてはいるが治らない例や頻回に再発を繰り返す難治例があること、背景に抑うつ状態・うつ病がある場合にそうなり易いこと、
聴神経腫瘍など他の病気が隠れている場合があることなどにも全く言及が無い。
判りやすさ最優先の番組内容は一般視聴者には好評だったかもしれないが、過去にあるいは現在この病気に罹患した(している)難治例の患者さんや、
メニエール病の病態が内リンパ水腫であることを知っている医療従事者には不満な点や疑問な点が少なくなかったと思う。

 コメンテーターが、大学医局時代は味覚と中耳疾患を主に研究しておられた方だということは放映の3週間位前に知らされた。
彼から丁寧な電話も数回頂いて承知はしていたものの、私の意見がほとんど無視された形の番組内容であった。

 大曲での初面談から5週間、私的時間の多くを費やして協力し振り回されたのに失礼千万な話しである。
後日、全国から1000通を超える投書があの番組に寄せられたと聞いた。
そのうち約3分の1は放送内容に対する疑問・抗議だったというが、さも有りなんである。

 今回の「あさイチ」騒動を経験して改めて感じたことは、放映されるすべての番組についてそれを創る側と
それを視聴する側の双方に、ある覚悟が必要だということである。

 創る側については、ディレクターがその番組作りに絶大な権力を持っていることを自覚し、
それまでの歴史や現在の問題点を自ら広く深く調べそして学ぶこと、その上で専門家の意見を謙虚な気持ちで聞きそれを取り入れることが大切である。
医学や科学番組を視聴者が理解しやすいように創ることはとても大切なことだが、そのためには正確さ(その時点での)を欠いても良いと考えるのは不遜である。
番組作りには、その道の専門家の他にほぼ同等な知識と見識を持つディレクターが2人関わることが望ましい。

 番組を視聴する大多数の側については、全ての映像作品にはそれを創った人間(ディレクターやプロデューサーと呼ばれる人たち)の意向・バイアスが、
必ず(意図するしないにかかわらず)入っていると考えながら視聴することが大切である。
流された映像を正面からだけでなく横から斜めから時には裏側から観るために大切なもの、
それは、観る人の知識・経験と歴史認識に基づく“想像力”だと思う。

 肝に銘じたい。メディアのいかんを問わず、得られる情報の全ては発信者が切り取った真実の一部に過ぎないことを。

菅義偉首相への期待と不安(秋田県湯沢市の同学年生からのエール) 2020年11月

阿部隆(阿部耳鼻咽喉科医院)

 2020年2020年9月16日、我が国の第99代の総理大臣になった菅義偉さんは、私と同じ歳で、生家も同じ湯沢市の在郷である。
私が通った稲庭中学校の同級生の進学先で最も多いのが湯沢高校なので、菅さんと同級生だったという仲間も数人いる。
彼らの言によれば、高校時代の菅さんは、学業でも部活動でも特別に目立った存在ではなかったらしい。

 9月の連休に菅さんの原風景を見たいと思い彼の生家を訪ねてみた。私自身の原風景とあまりに似ていることに驚いた。
国道13号線から役内川に沿って鳴子に向かう国道108号線沿いに大きな集落が幾つかあり、その奥まった集落に彼の生家があった。
その集落は、3方が山で西の一角が開けており山が迫ってくるような圧迫感はなく、旧国道沿いに家並が連なっていた。
今は誰も住んでいないということだったが、廃墟という感じは全くなく、笑顔の住人が「よく来てけだな」と挨拶しても違和感がないような小綺麗な家だった。
訪ねたのは秋彼岸の小春日和であったが、冬はどんなだろうと想像してみた。
北西の風が吹く厳寒期には湯沢高校までの通学は無理。中学時代の同級生によると、彼は冬には湯沢市内に下宿していたという。

 私も、13軒の限界集落に生まれ厳寒期には2mを超す雪の上の一本道(3㎞)を、集落の皆と一緒に中学卒業まで毎日通ったこと、
3方が山で一角の開けた方向に未知の明るい世界が広がっているような気がして故郷を飛び出したかったこと、親父が教師ではあったが、
農林業が家計収入の多くを占めていた家庭の長男であったことなど、菅さんと共通するところが多い。
高校を卒業してから歩んだ世界は彼とは大きく異なるが、心に残る原風景・原点は同じだと感じた。

 敗戦の3年後に生まれた我々は、既成の価値観に異議を唱え、自由で民主的で平等な社会を目指した学生闘争の盛んな時期に青春時代を過ごした。
上京して東京の会社に勤めたのち法政大学に進学した菅さんが、その真っただ中で見たものは何だったのか。
この世の中を動かしている社会的強者の世界、政界や財界のエリート集団の考え方や振る舞いを見て、彼は政治の大切さに目覚め政界入りを目指したという。
地縁・血縁の全くない横浜市の市議選では、横浜駅頭に立ち辻説法をして支持を訴えて当選し、数年後には神奈川県選出の代議士となった。
幸運に恵まれたということもあろうが、私には到底想像もつかないご苦労があったに違いない。

 世襲議員や海外の大学を出たエリート議員のように、机上で天下国家を論じ美辞麗句を並べることが得意ではない彼の武器は、
秋田の田舎で育った経験と市議時代に磨かれた市民感覚と、代議士になり官房長官として内閣の実務を取り仕切ってきた中で感じた、官僚機構・エリート集団への反発心だろうと思う。
重要政策の一つとして、中央官庁の縦割り・既得権益・悪しき前例主義の打破を真っ先に打ち出した。
国民目線に立つことを忘れずにこの行政改革をぜひやり遂げてほしい。

 私が彼に最も期待したいのは、東京一極集中の是正・地方分権の推進である。
これは、ヒト・モノ・カネが東京に集中し地方が衰退・疲弊してゆくことを、身に染みて感じることができる菅さんにしかできないことかもしれない。
かつて、道州制を導入すべきだという議論があった。仙台を中心都市とする東北州なら、農林漁業による国の食糧基地あるいは
再生可能エネルギーの供給基地という役割を持てるのではないか。都会の若者には、四季折々の野菜や果物の栽培・収穫で自然の豊かさと食の大切さ・楽しさを教え、
夏の草刈りや冬の雪下ろし十字軍参加で、自然の厳しさを体験させるのも良い。
ある調査によれば、都会に住む30~40代の人の約40%が地方(東京近郊を含むだが)への移住を望んでいるという。
新型コロナの影響で在宅勤務やテレワークを経験し、新しい生活様式を経験した人たちが、新しい生活スタイルを本気で探し始めているような気がする。
IT技術がこれほど進歩し高速交通体系がこれほど整っている我が国では、田舎暮らしと都会生活の良いとこ取り(dual life)で豊かな生き方ができるように思う。

 さて、菅さんに抱く不安について述べなければならない。

 それは、首相としての所信表明演説で、望ましい社会の在り様は「自助・共助・公助」で「まず自助を」と述べたことに起因する。
実は私も、高校の校是の一つであった「天祐自助」という言葉が好きで、今の自分が在るのはこの言葉を大切に努力してきたからだと思っている。
高校卒業後の菅さんの人生を想うと、私と同じく「自助」という言葉を頼りに頑張って来たことが容易にうかがえる。
問題は、彼が市議・代議士になってから、どのような世界を見てそれとどのようにかかわって来たかである。

 私の場合は、医師になりストレス性難聴を研究対象とし、小児難聴児や聴覚機能障害者に会って初めて気づかされたことがある。
それは、「自助」には様々な条件が整っていなければならず、誰かの支えや助けが必要なのだということである。
私が「自助」で頑張って来られた背景には3つの条件が整っていたことに改めて気づく。
一つ目は、五体満足に生まれ正常とされる発達経過で身体的・知的精神的に成長できたこと、
二つ目は、経済的・社会的に恵まれた家庭で育てられたこと、
三つめは、人類の過去・現在・未来について学ぶ機会・教育を受けることができたこと。
そしてそれら3つの前提の上に、現在の職業を得て社会的活動を行えていることである。
これ等のどれをとっても、自分の努力だけで成ったことは一つもない。
親はもちろんだが、いろいろな人に支えられ、導かれて可能になったことである。

 湯沢市の田舎という原風景が近似で、抱いた志を成就させることができたという意味では近いものがある菅さんと私だが、
そのように一人では頑張れない人達への想像力が、菅さんにどれほどあるかという不安を拭えないのである。

 視力・聴力・他の身体機能や知的精神的に程度の差はあれ障碍をもって生まれてきた児、
望ましい親子関係・家族関係を築けない中で育った児、6人に一人という貧困家庭の中で育ち十分な教育を受けることができなかった人、
そして現在、生きている喜びを実感できず将来を不安に思っている人達が沢山いる。
上野千鶴子さんの言う「頑張ろうと思っても頑張れない人達」への共感を菅さんにぜひ持ってもらいたいのだ。
彼らは、社会の前面に出ることはあまりなく、能動的に自分の意見や気持ちを社会に対して表明することもない。
彼らの声なき声に耳を傾け、彼らと彼らを支えている人達に小さくても良い確かな光を与えてもらいたい。
頑張れる人達に自助を促すのも良いが、頑張れない人達のために公助・セーフティーネットをしっかり構築することこそが、
菅さんの大切な仕事の一つである。

 信頼できるアドバイザーを各分野に“複数“つくり、庶民宰相である菅さんにしかできないことを、優先順位をつけてぜひ成し遂げてもらいたい。

 秋田県湯沢市の同学年生からのエールである。

(2020.11.10)

菅義偉首相への期待と不安(秋田県湯沢市の同学年生からのエール)【追記】 2021年1月

【追記】

 2020年11月の国会で「自助、共助、公助そして絆を大切に」の所信表明演説をしたのを聞いて、このエール文を書いてから約3か月が過ぎた。
日本学術会議委員の任命拒否問題で、全国のインテリ層やマスコミ関係の人達、いうなれば、発信力の強い最も厄介な(?)人たちを敵に回してしまってから、
菅内閣の支持率はどんどん落ちてきて現在に至っている。

 国会や予算委員会での質疑や新型コロナの記者会見を聞いていると、机上の原稿から目を離さず、言い間違いや舌足らず(意味曖昧)・的外れな答えがあったりして、
菅さんは完全に自信を失っているように見える。

 入局して初めて全国学会で発表した時の自分を見ているようで、ハラハラドキドキ、いつも居たたまれない思いに駆られる。
広い耳鼻咽喉科学の聴覚医学分野の中の難聴疾患という狭い領域についての研究発表でさえ、あんなに緊張したのだから、菅さんにとって専門外(?)の感染症医学・公衆衛生学・保健福祉行政学・
さらに政治経済学など、あらゆる分野の知識が要求される質問に的確に答えることなど不可能だと同情してみたりする。

 安倍長期政権の実務を取り仕切ってきたといわれる菅さんだが、その能力とは、国の様々な分野を担っている省庁・官僚機構をうまく機能させる能力だろうと思う。
その能力を発揮できない理由がどこにあるのかを良きアドバイザーと共に探り克服してもらいたい。

 国のリーダーとして菅さんが相応しくない最大の理由は、説明や議論が下手で足りないことだという人がいる。
私も同感で、今のような社会閉塞状態では特に大切な資質かもしれない。また、菅さんが当意即妙な受け答えができない・コミュニケーション能力が乏しいのは、
秋田の田舎で生まれ育ったからだと言う人もいる。
これまでの人生を振り返ってそれを完全には否定できない自分がいて、私も辛くなる。この辛さは、私だけでなく秋田県民共通の想いだ。

 しかし、コミュニケーション能力だけが政治家に必要な全てではない。
原稿のReaderではなく国のLeaderとして、支持率や任期など気にせず、開き直ってベターな対策を実行してもらいたい。
新型コロナとの地球規模の戦いにベストな対策など無いし、正解も一つだけではないのだから。

 ああ、バッシングだらけの菅さんに、「追記」でもまたエールを書いてしまった!!

(2021.1.30)